忘れないための記録

勉強会のメモなどを投下します。

エンジニアもすなる「退職エントリ」といふものをタケぽもしてみむとてするなり。

 

3月19日、フリーランスエンジニアとして歩むべく、開業届を提出してきた。

開業は4月1日だが、気持ちとしては踏ん切りがついたため、退職エントリをしたためようかと思う。

 

 勤めていた会社に関して

 勤めていた会社は、独立系のSIer

東証一部にも上場しており、社員数もそこそこいる大きめの会社であった。

元弊社は自社開発のシステム、受託開発以外の部隊は基本客先常駐となる。

部署ごとに固有の顧客がおり、一度部署に配属されてしまえば、基本現場が変わらないような流動性が低く、また、異動願いはめったに受け入れられない、案件に関しても俗人化が激しい、お客様最優先な会社であった。

私も客先常駐部隊に配属されており、運輸業界のシステム開発に入社以来携わってきた。

この会社には開発がしたくて入社をした。

大きめの会社であるし、研修制度も充実し、マネジメントやスペシャリストなど志すキャリアパスに合わせて成長できると聞いていたため、ワクワクしていたのだが、開発を私生活がなくなる程度やることになってしまい、中等度の抑うつになってしまった。

 抑うつが判明したのは、仕事中に涙が止まらなくなったり、肩こりがひどくなったり、希死念慮というよりは「消えたい」という感情が溢れてしまったり、休日は一歩も動けなくなったり…という症状が出たため、メンタルクリニックを受診したからだ。

 

ちなみに前々職もIT業界ではあったが、来る案件来る案件が庶務業務ばかりで開発業務に携わることができず、環境を変えるために元弊社へ転職した。

 

退職した時期、何故退職したか

 19日に開業届を提出したものの、退職自体は2月末で退職をしていた。

自分としては3月末で退職するつもりで、2月中旬に上長に辞意を申し出たのだが、

会社の人事としては、2月末退職のほうが都合がよいとのことで2月末退職となり、少し予定が狂ってしまった。

最初から「治療のため故郷に帰る」と上長に言い訳をしていたため、引き止められずに済んだ。

休職を続けるという選択肢もあったが、正直傷病休暇中(最大2か月)は基本給の8割、それ以降の休職中は傷病手当を受給で基本給の6割程度が支給されるのみなので、大都会TOKYOでは身寄りのない独身女が暮らすのはきつすぎる。

かといって、元弊社では業務改善ができる望みは少なく、また休職をする羽目になるのではと考え、退職を選択し、フリーランスエンジニアになることにした。

(一度休職をしてしまうと、世間の企業はストレス耐性がないとみなし、採用されづらくなるため、選択肢がなかった。)

 

 また、現在私は先述の抑うつ状態のため通院をしており、退職する際も休職をしていた。

抑うつの原因としては、万年お客様が「お金ない」というなか、無理なスケジュール、少ない人員で無理やり開発を行う案件に昨年1年間のほとんどアサインされてしまったためである。

昨年の平均残業時間は50時間を超えており、自分の私生活がほとんどない中、資格試験やスケジュールが押してるにもかかわらず評価面談や部会、研修、昇格試験などの自社業務が盛りだくさんで精神的にも追い詰められていた。

特に昇格試験の内容が論文であったため、22時まで仕事をし、日付が変わる頃に帰宅し、夕飯を口に詰め込みながら深夜2時まで論文に対する指摘対応や加筆、修正を行っていた。

24時間のほとんどを仕事が頭をよぎる状態で生活をするのは、私には荷が重かった。 

 

今後の方針

 今後は、Javaエンジニアとしてフリーでやっていくために、勉強会にどんどん参加して知見を広げていこうと思う。

また、前職では時間も心の余裕もなく取り組めなかったお弁当作りや、私生活での勉強・読書を少しづつやっていきたい。

ジムもさぼり気味なので再開していきたいと考えている。

フリーランスの最大のうまみである、時間に融通が利く部分を最大限に生かして、ワークライフバランスを保って充実した人生を送っていきたい。